通常、生物というのは酸素を吸ってエネルギーを作る。
その酸素は植物が作る。植物が酸素を作るには太陽の光が必要だ。
だから、光に満ちあふれた世界には生き物があふれている。
人間社会も同じ。
日の当たらない真っ暗な場所にも、働いて生きている人々がいる。
さぁ、そんな光の届かない世界を覗いてみよう!
無力透明。
深海にはガラスのように透明な生物が沢山いる。
爪も牙も持たない生物が透明になって
身を守るために「やりすごす」ことは、賢いことだ。
戦わなくて済むトラブルとは戦わなくていい。自分のリスクは避けていい。
これは本当に当然のことだと思う。
そう、これは人間界の異常な組織においても全く同じだ。
暴力をふるったり、暴言を吐いたりする上司がいる異常な職場では
透明になってやり過ごすことも一つの生存戦略。
とんでもないミスをしているのに、誰にも指摘されない異様に影の薄い社員。
怒られそうな状況になると、いつの間にかスッとタバコを吸いに消える社員。
彼らも透明になることで、身を守っている。
あなたに忘れないで欲しいことはこういうこと。
「透明さは生き延びるためのもの」
でも透明でいるうちに、自分を見失ってしまうこともある。
手のひらを眺めてみて欲しい。
透き通り始めてはいないだろうか?
まるで深海のような場所で透明で居続ける必要は無い。
あなたが生き残るために透明になることを選んだのならば止めないけれど、あなたの心まで透明にしてはいけない。
偽りの灯
「あの人の誘いには気を付けて」働いているとそんなことを言われることはよくある。
大体は、マルチ商法やいかがわしい儲け話を持ってくる人だ。
先の見えない暗闇の中で、人は光を探してしまう。
仕事に光が見えないなら、仕事の外に探すしかない。暗闇の中で小さな光がチラチラと輝くと、人間もパクっとその光に食いついてしまう。
先に光が見えない場所には、偽りの灯が蔓延する。
あなたが今見つめているその光、よく眺めてみて欲しい。
チョウチンアンコウのシルエットが浮かんでこないだろうか。
深海のサカナたちがチョウチンアンコウの光に騙される時、彼らはきっと希望に満ちあふれているのだと思う。
そして、残念なことに絶望はそんな時にやってくる。
鋼鉄の心で
深海には鉄を取り込んで、文字通り鋼鉄の体を持った驚くべき生物がいる。
真っ黒な人間界の闇でも、そんな異常な生物がいる。
例えばとても理不尽なことがあって、上司に訴え出たとする。
上司は「わかりました、善処します」と答えるだろう。
しかし、結局のところ何の変化も無い。
それどころか、「チクった」とみなされて、ひどい目にあわせたりする上司がいる。
彼らは基本的に、自分の利益でしか動かない。
職場の中でどんな理不尽が蔓延していようとも、
どれほど苦しんでいる人が存在しようとも、決して動かない。
それが組織運営に問題がなければ、彼らは何も気にしない。
もっとひどいのになると、部下の所業が犯罪の領域になっていてもそれを見ないふりをするケースさえある。テレビにも「私は何も知りませんでした」と澄ました顔で言い切る鋼の生物が映っていることがある。
部下が違法な過重労働をしていても、彼らは気にならない。もしかしたら昔は気になったのかもしれないけれど、いつしかそんな気持ちは失われてしまったのだろう。
心を鋼鉄で覆うことが出来るのは才能と言っていい。
誰しもぼんやりとは持っている道徳や倫理といったものをほとんど装備せず、
「やらなくていいことはやらない」に特化しているのだから。
そういうわけで、こういう上司の下についてしまった場合助けて貰うことは不可能に近い。
怒ってもしょうがない。職場の理不尽をただす仕事をしなくていい。
弱さと強さ
そんな誰も食べないようなゴミを食べて
深海を掃除することで生き残っている生物もいる。
強い牙も堅い体も持っていないし、早く泳ぐことも出来ない。
そんな弱い生物だとしても、過酷な環境で自分の居場所や役割を見つける生存戦略もある。
例えば仕事が出来ないのに、好感度だけで会社に居続ける社員。
「なれなれしく接近してくる先輩には気をつけろ」
というのは一般的な会社の作法と言えると思うけれど、彼らはまさしくそういう生物だ。
大体は、あまり評価を受けられずメインストリームから外れてしまった人だと思う。
こういうゴマスリは「情けない」と陰口をたたかれていたりする。
しかしメインストリームで生き残れなかったのなら、仕事の不手際で下がった好感度は仕事以外のことで上げるしかない。周りの人に感じよく親切に接する生存戦略もある。
泥をすすってでも生きる、というのはとても大事なことだ。
コレを書いている僕ら二人も「主食は泥」と言っていいくらい泥をすすって生きて来た。
強い者と生存域を争わず生き残りをかける。
これはきっと「強さ」だったんだと思う。
若いころはどちらかというと「陰口」に共感してしまったこともあったけれど、どんなところでも生き残ろうと思ったら「ゴマスリ」をやるしかない。
そりゃあ、サメの皆さんは優雅に海底を泳げるだろう。
チョウチンアンコウはデカい口と牙を持っているだろう。
でも、ヒレも牙も引き抜かれてしまうことって人生にはある。
みっともなくとも「生き残る」ということは、きっと正しい。
永遠にそこにいる
ブラック企業の究極的なところは、ある種の永劫性(えいごうせい)にあると思う。
彼らはまた職場に向かう。長い長い拘束時間の後にはそのまま同僚たちと居酒屋に向かう。大酒を呑んで二日酔いで会社にまた出勤し、また長い長い拘束時間を過ごす。
こんなことの繰り返しだ。
休みなんてなかったりもする。
このループに疑問が持てなくなってしまった人というのはしばしばいた。
「寝ていない」なら家に帰って寝ればいいし、
「忙しい」なら無駄な時間は切りつめればいい。
でも、ブラック企業はそれをしない。
深海にはドウケツエビという生き物がいる。
彼らは、小さいうちにカイロウドウケツという牢獄のような生き物の中に入り込み、生涯をそこで過ごす。エビは大きくなると外に出ることすら出来なくなる。
寝て起きて会社へ、同僚と過ごしまた会社へ。
人生が会社から一歩も出ることが出来なくなる。
ただ、このドウケツエビはカイロウドウケツに守られて暮らしているともいえる。
あなたが会社に守られてそうしていると思うなら、それは立派な生存戦略だ。
でも、ドウケツエビのように長い年月と共に抜け出せなくなってしまうこともある。
カイロウドウケツ(偕老同穴)とは
「生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られる」
という中国の故事からきている。
かつて、日本が高度経済成長の中にあったころ、これはもしかしたら美談だったかもしれない。では、今の日本でそれはどうか。
それを決めるのはあなただと思う。
人間
これを書くために僕たちは深海生物について調べたのだけれど、その生存戦略の多様さには舌を巻いた。そして、我々もあまりホワイトな世界に生きて来たとは言えない、どちらかと言えばグロテスクな深海魚に近い人間だから、生き残るということへの執念に感じ入るものがあった。
そういえば、僕らもそんな風に生き延びたな、なんて思ったりもした。
でも、一つ大事なことがある。
人間は生きる場所を選べる。
深海魚が光を求めて浅瀬に上がっても、水圧の急激な変化で死んでしまうことが多い。
でも、人間はそんなことはない。
あなたが今生きている場所は闇に閉ざされた深海かもしれない。
でも、あなたは生きてさえいれば光ある場所を目指すことができる。
光の届かない場所を生き延びねばならないこともあるだろう。
でも、あなたはずっとそこにいてはいけない。
上がって上がって、光のある場所で幸福に生きなければいけない。
オマケ
沈んだら、どなたか引き上げて下さい。
おしまい
PROFILE
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ブラック企業での壮絶な体験、波乱万丈な私生活を、自身のブログで紹介して話題に。
人気のブログが書籍化された『天国に一番近い会社に勤めていた話』も読者から高い評価を得ている。
現在は沖縄に移住し、『警察官クビになってからブログ』のほか、新聞や雑誌にコラムを掲載するなど活躍中。