起業して会社を潰した僕が、再びサラリーマン(部族)に転職した話

朝の駅はいつも絶望的だった。
ターミナルを埋め尽くす、スーツを着た立派な部族たちを見ると、世界のどこにも自分の居場所なんてない気がした。

最初の会社を辞めて、色んな方向から仔細に自分自身を検討した結果は、「僕に部族は無理だ」というものだった。
それは疑いなく確かな結論のように思えた。
そんなわけで、前作の通りサラリーマン生活に見切りをつけた僕は起業をした。
どこにも居場所がないなら自分で創ればいいと思ったから。
一時は空へ飛びあがっているような気がしたこともあった。
若手経営者として褒められるようなこともあった。
部下に「社長」と呼ばれるのは悪い気持ちじゃなかった。

でも、転げ落ちた。

今思うと当たり前に、当時としてはあまりに想定外に。これはあまりに愚かな話なのだけれど、僕は自分の起業が成功すると信じていた。
僕の会社は潰れた。

そして、僕は再び部族に戻った。
もう一度駅に立って
人生というのはいろいろあるけれど、いい歳で一文無しの無職になるというのは、わりと辛いことだ。もっとつらいこともたくさんあると思うけれど、
それでも辛いことには違いない。
生活をするにはお金がかかる。
お金を稼ぐためには働かなければならない。
僕の会社はもうないのだから。
新卒だった前回とは違う、30過ぎからの再就職。
状況はかなり悪い。甘ったれた弱虫の僕にはとても辛い。
おまけに、僕は2年と勤め人をやらずに起業したのでろくな職歴がない。
「働かねば」と思って、ネクタイを締めてスーツを着るまで1年以上かかった。
その間のことは「辛かった」としか覚えていない。詳しく思い出そうとすると頭痛と吐き気がしてくるので、ここでは割愛させてもらいたい。
そんなわけで、僕はもう一度仕事を探した。実を言うと、僕は知覚過敏が強いのでネクタイがとても苦手だ。それでもネクタイをして、アイロンのかかったワイシャツを着て、ターミナル駅に立った。

家にはお腹を空かせたニホンイシガメとタイリクバラタナゴがいたから、彼らのエサ代を稼がなければいけなかった。

・・・・と言いたいけれどこれはウソだ。
恩のある人が「そろそろ社会復帰しろ」と背中を押してくれたので、僕は嫌々だったけれど社会に戻った。
「これでダメなら終わりだなぁ」とぼんやり思っていた。「君はまだ若い」と言ってくれる人もいたけれど、正直なところ捨て鉢な気持ちだったと思う。
あの頃は、よくマンションの屋上にのぼった。
そうしていると、何もかも投げ出して旅行に出る準備をしているような気分になれるから。気分も楽になった。
「何の希望も野心も持っていない」というのは、ある意味とても便利なことだった。プライドを粉々に砕かれた後だったので、全ての人が僕より偉く見えた。
僕はどうしようもない人間だから、
誰にでも従おうと思った。
出資者に迷惑をかけ、取引先に迷惑をかけ、
従業員の期待を裏切った僕よりは、みんな偉いのだから。
そういうわけで、僕の二度目のサラリーマン生活はなぜか結構うまくいった。
挨拶とお礼

そこにいる人たちは結構みんなクセがある。
そして、小さな会社なので、「仕事を教わる」という感じはあまりない。
「これをやれ、GO!」という感じの部族だ。





それでも30過ぎて異業種に再就職した僕は、まず仕事を覚えなければいけなかった。仕事を覚えるには、誰かから教わるしかない。
「どうやったら仕事を教えて貰えるか」からまず考える必要があった。
そこで僕はまず上司や同僚への「挨拶とお礼」を徹底した。
「私はあなたに仕事を教わりたいのです。私はあなたを尊敬しています。どうぞ、仕事を教えてください、感謝を返します」という態度を全面に出した。
これは、実際のところ本音だった。

初めての職場での失敗から学んだことだ。
あの頃は上手くやれなかった挨拶も、「仕事を上手く教わらなければ生きていけない」という切迫感もあり、あるいは年齢や経験を重ねたこともあって、いつの間にかできるようになっていた。
「挨拶」と「お礼」は見えない通貨みたいなものだ。
「とにかく払おう」と必死になった。最初のうちは、「丁寧すぎる」とか「そこまでやられると気持ち悪い」と言われたけれど、やらないよりはずっとよかった。
以前はこれをやろうとすると胃が痛んで身体が動かなかったけれど、この頃は常に胃が破れそうに痛かったから、あまり問題にならなかった。
「おはようございます、今日もよろしくお願いいたします」
全員に頭を下げて挨拶する。これ一つで世界が変わるということに驚いた。
僕の勤める業界は、どちらかと言えば「成果さえ出せば後はなんでもアリ」の世界なのだけれど、僕はとりあえず会社の全員に「敬意を見せる」ことに徹した。「あなたを尊重し、敬意を払います」ということをとにかく大事にした。
そのギャップもあったと思う。
僕はわりと「好かれる」ことに成功した。
本音を言えば、「仕事を指導する」というのは上司や先輩として当然のことだと思う、だから僕は「ご指導ありがとうございます」というお礼を言う文化にあまり納得していないんだけれど。
それでも僕はいい年をしてやってきた新人だ。やるしかなかった。
叱られてもお礼を言った。
会社を潰してわかったことが一つある。
「会社を経営して、給料を払っている人はすごい」ということ。

だから、叱られた後は「叱ってくださってありがとうございます」
「私はあなたの指導に感謝しています」という態度を見せた。
効果はてきめんだった。
それに「話せばわかる」と認識されれば、不思議なことに叱られなくなる。

もちろん、「人間を痛めつけるのが大好き」という恐怖の存在もたまにいるけれど、多くの人はそうではない。
人間的好意さえ発生させれば、
これはとてもズルいことだけれど…叱られなくなる。
話せばわかる人を叱りたい人は、あまりいないのだ。
そして、時に「叱り」方が理不尽になってしまうこともよく理解できた。
僕だって、人を叱る名人にはなれなかったのだから。
正直に言えば、怒る上司に言い返したいこともあった。
「これは言い込められるな」と感じることもあった。
でも、「そんな権利はないな」と思った。
ただただ、上司の心労を少しでも小さくしたい。
半分は戦略で、半分は本心だった。
上司がいつも疲れ果てていることが手に取るようにわかった。
以前はこんなこと、まるでわからなかった。

族長とタンバリン
社長をやっていた頃、僕は色んな「部族」に会う機会があった。

いつも胃が裂けそうに痛かった。責任を取るのは僕なのだ。
僕より強い部族の風習にはいつだって合わせるしかなかった。

「弊社と取引してください」と他所の族長にお願いするには、酒の席がしばしばあった。そこで、相手のカルチャーを理解し、相手に「私は付き合いやすい相手です、是非一緒に儲けましょう」と伝える必要があった。
社長として「僕の商品を買ってください」と営業をするのは、とても辛いことだった。呑み会が終わった後はいつも吐いた。
これならサラリーマンの方がマシだったかもしれない、と思うこともあった。
「若いんだから飲め、食え」と言われた。
「いただきます!」と食べて呑んだ。

取引先と呑んだ後にはしばしばカラオケに流れる。スナックということもある。
サラリーマンのみなさんはこんな話を聞くとげんなりするだろうと思うけど、社長だってやはりげんなりするのだ。

これは人間にはしばしばあることだけれど、「一緒に楽しむ」ということは信頼関係の醸成にとても大事なことだ。
タンバリンをシャンシャン鳴らし
「僕は今族長の歌でノリノリです!」と振舞った。
「楽しいです」と全身で嘘をついた。
生きるか死ぬかの勝負が経営だ。
族長に気に入られて取引させてもらうしかなかった。
強い族長が好きなものと言えば、キャバクラだ。お察しの通り、僕はキャバクラという茶番がものすごく苦手だ。あれはすごく高度な文化で、「女性を交えて楽しく呑む」というとんでもない技能が要求される。まるで文化祭の演し物みたいだ。
「借金玉!歌え」
と言われれば赤いスイートピーも歌った。社長が好きだと知ってyoutubeで聴き込んだ。「社長!~ちゃんが横に来て欲しいみたいですよ!」なんてこともやった。
本気を出して太鼓持ちをやった。
いつも終わった後には「失敗していないか」と不安で仕方なかった。サラリーマンのころとは恐怖の桁がまるで違った。
酔ったふりをしているといつも背筋を冷たい汗が流れた。
仕方がない、僕は弱い族長で彼は強い族長なのだ。僕は強い族長に気に入られて仕事を取るしかない。そうしないと僕の部族が飢えてしまう。最終的にうまくいかなかったけれど、つまり社長というのはそういう仕事だった。

親愛なる上司へ
そんなわけで、僕は今の上司が好きだ。
小さな会社だから、僕の直属の上司はそのまま経営者なのだけれど、彼はとても良い上司だ。ちょっと癇癪持ちでそそっかしいところはあるけれど(ちょっと僕と似ていて親近感がある)、とてもやさしい人だ。
彼がカッとなって怒鳴ってしまうことや、彼にとって当然の「部族の掟」を僕がわかっていなくて怒ることも、以前ほど腹は立たない。
だって、彼は僕が出来なかった仕事をしているのだから。会社を抱えて給料を払っているのだから。部下をマネジメントしているのだから。
だから、僕は極力彼の「部族」に合わせたいと思っている。

彼の考え方ややり方を可能な限り尊重したいと思いながら仕事をしている。そんなわけで、相変わらず呑み会は疲れるけれど「借金玉が来たら呑み会が盛り上がるから助かるな!」という評価を貰ったりするようになった
正直言って、「利益が上がった」という評価よりこっちの方が僕にはずっと嬉しかった。僕はずっと「呑み会のいらない子」だったから。
会社のコミュニケーションの多くは「茶番」だと思う。

でも、僕は呑み会の翌日「昨日はありがとうございました!」
とお礼を言うことにした。
「楽しかったです!また連れて行ってください!」
それだけで、皆が少し安らいだ気持ちになるならそれでいいと思った。
だって、部下が呑み会を嫌がっていたら、上司としては結構辛い。
そんな辛さは味わってほしくない。
胃はもう痛まなかった。
そして、ちょっとだけ呑み会は楽しくなった。
ごめん、これはウソだ。
大体は相変わらず楽しくない。

でも、楽しいふりをするのは楽になった。
部族との付き合い方
そんなわけで僕は今部族をやっている。
僕の会社にも様々な部族の掟が存在し、「それは非効率では…」というようなものもなくはない。でも、とりあえずは「教わった通りに」やることを心掛けている。
上司が昼に歯を磨いていたので、僕も真似をして磨くことにした。

以前は嫌で嫌で仕方なかったけれど、これが連帯感を醸成する儀式であることはわかっていた。なら、歯くらい磨いてもいいじゃないか。
そう思えた。歯が綺麗に越したことはないのだから。
僕は鞄にいつも歯磨きを入れている。これはいわゆる発達障害の症状なのだけれど、僕は朝に歯を磨き忘れ、顔を洗い忘れ、髭を剃り忘れる生き物なのだ。
だから、ケア用品は全部持ち歩いている。
予備の革靴まで会社のロッカーに突っ込んである。
スニーカーどころかサンダルで出社してしまったことが何度もある。

仕事についても「これはやり方が間違っているのでは…」とか
「非効率過ぎるのでは」と思っても、まずは訂正しない。
とにかく風習をなるべくきちんと覚えて、それからタイミングを見て「こんな改善案はどうでしょう」と出来上がったものを持って行くことにしている。
「業務改善案」を作るのは難しくない。
でも、それを受け入れてもらうのはとても難しい。
そこまで含めて仕事なのだと考えるようにした。というのも、僕自身会社を経営していた頃、部下の立案の全てにたっぷり時間を取って付き合うことが出来なかったのだから。
まず、根回しをする。
「この仕事は誰の管轄で、誰が作ったものなのか」を把握する。
その人にススっと近づき、タイミングを見て「こんなのどうでしょう」という。
「こんなの」はあらかじめ作っておく。ムダになることもあるけれど、それは気にしない。最初から諦めをある程度持っておく。
本当にちょっとしたことでも、人は現物を見ないとなかなか理解はしてくれない。「この仕事のやり方は間違っている、こうすればいい」と意見を述べても、あんまり意味はない。そこを突破するところまでが仕事だ。
例えば、「今は手動でやっている書類の作成を自動化する」なんてことでも、まずはエクセルで試作品を作って、「ちょっと使ってみてください」とやる。

ちなみに、弊社におけるハンコの押し方もやはりちょっとしたルール…というか風習があるのだけれど、「承知しました」と言って押している。
ルールの根拠はよくわからない。
わからなくていいんだと今では思う。
キーポイントはこういうこと。
部族の掟は正しくない、正しい掟は存在しない。
でも、それを否定する必要も特にない。
気楽になるべく上手にやればそれでよかった。
そんな風にしているうちに上司との関係もよくなってきて、「部族」ではなく「人と人」として話が出来るようになってくる。
更に楽になった。歯車がかみ合うと、どんどん楽になる。不思議なものだった。これが逆回転したのが最初の職場で起きたことだったんだろう。
僕は会社が好きで、こうして文章仕事が軸になった今も未だにサラリーマンを続けている。流石に出勤日数は減ってしまったけれど…。
会社の帰りによく空を見上げる、夏の青空が広がっていて会社を辞めた時のことを思い出す。もちろん、仕事には辛いこともたくさんある。

「部族の掟」は今でもくだらないと感じるし、茶番だと思う。
でも、茶番を上手にやっていくと、楽になる。そして、上司の苦労や努力を理解しようとすると、あまり腹が立つこともなくなる。
それはきっと、猿の毛繕いみたいなものだ。それ自体に大した意味はないけれど、それをやって何かが上手くいくならやればいいんだ。
社長という経験を経て、「上司の苦労」は痛いほどわかった。
上司は大変だ、責められない。少なくとも、彼はきちんと僕に給料を払って休みをくれる。僕はそれすら出来ずに会社を潰してしまった。
部族の仮面をかぶって生きている。
タムタムを鳴らして踊る。
くだらないな、と思いつつも大声で歌う。
呑み会は盛り上げ役を買って出る。
太鼓持ちもおべっかも言う。

会社をやめたときよりずっと、呼吸がしやすくなった。
僕の失敗続きの人生にも、ささやかな学びはある。
人と人はきっと、究極的には分かり合えないんだと思う。
誰かとわかりあおうという気持ちは、正直に言うともうあまりない。
「上司はわかってくれない」なんて言わない。
僕だって部下をわかってやれなかったんだから。
相変わらず、「部族の風習だな」とか「なんでこんなことをしなきゃいけないんだ」という気持ちが湧き上がることもある。
生まれ持った性質はそう簡単に変わらない。
でも、仮面は随分顔に馴染んだ。
僕が笑うと仮面も笑う。

これは、実のところ結構便利な道具だ。
会社を出ると仮面を外す。今日も部族を頑張ったなと思う。残業がなければ、この季節はまだ空が明るい。なんだか少し得をした気持ちになる。
生きていてよかったと思う。
ビルの屋上にちょっとだけ詳しいという僕の特技は、たまに東京の街を高見から眺めたい日に活用されている。

PROFILE
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ブラック企業での壮絶な体験、波乱万丈な私生活を、自身のブログで紹介して話題に。
人気のブログが書籍化された『天国に一番近い会社に勤めていた話』も読者から高い評価を得ている。
現在は沖縄に移住し、『警察官クビになってからブログ』のほか、新聞や雑誌にコラムを掲載するなど活躍中。